料理に使う食材の組み合わせが無限にあるように、
完成された料理も、その分無限に存在する。
でも長い歴史を経てきて、地域ごとの文化を汲み取り、
それぞれの定番料理が継承されてきた経緯を見ると、
もう新しい味なんてものは出尽くしているはず。
日本で言えば昆布と鰹節からできるお出汁の取り方は、
品質の変動こそあれ、ほぼ完成された型であるはずだし、
先人たちが培ってきた叡智が集約されたもの。
とはいえ、そこから先の完成を決めるのは、自分次第で、
終わりがあるようで終わりがなく、料理に正解はない。
どこを終着点にするかの判断がむずかしいし、
日々更新され続けるものでもある。
人間の成長も同じようなものかもしれない。
それは無形のもので常に変わり続け、育ったきた環境や、
周りの影響を受け、人格が形成されていく。
人間にも正解はないし、完璧な完成はありえない。
そう評価するのは他者だから、自分自身で完成だと
思えるなら、完成してるのかもしれないけど。
それはさておき、作品が有形で残っていくものは
やり直しがきかないので、どこかのタイミングで
期限内に完成させないといけない。
建築や音楽、その他プロダクト作品などなど。
まさに今作っているレシピ本がその類で、
考えれば考えるほど、もっとよくなるんじゃないかとか、
後で後悔しないだろうかと、ついつい慎重になってしまう。
でも時間をかけたからといって、必ずしもいいものが
できるとは限らないのはわかっているし、かといって
お客様の期待を背負っているプレッシャーも大きく、
できることならば満足してほしいと願うばかり。
そしてどこを完成としていいのか迷うばかり。
料理を作るよりも随分むずかしい。
