だれかがいてこそ

料理というのは特に食べる誰かがいてこそ作る気になれる作業だと思う。

そんなことを「きのう何食べた?」というドラマを観て感じた。

(ジェンダーの問題はさておき)

料理を趣味というカテゴリーで考えると、読書や楽器その他の類いも大抵は喜びの対象が自分なのに対して、料理は食べる相手がいないとなかなか始めにくい。

一人分の料理を自分で作るのはめんどくさい。

ということに同意をする人はたくさんいると思う。

飽食の時代に食べ物はわざわざ作らなくても簡単に手に入る。

少々身体に悪くてもたまにならいいだろうと言い聞かせながら。

ましてや単身者が増えているという時代背景の中で、一人で食事することに「寂しい人」というレッテルを貼られることなく堂々としていられるだろうし。

食の起源は本来、炉を囲むためのもので、料理をきっかけに人と人とが顔を合わせてコミニュケーションが生まれるためのものであったことを考えると、今の「孤食」という概念は正反対に位置しているように思う。

誰かのために何かをする、という行為は、お土産を買ったり、プレゼントを送ったりと、他にもたくさんあるだろうけど、料理以上に手仕事から生まれる愛情のようなものが手軽に込められるものはないのではないか、と思うのはポジショントークだろうか。

それにあげるばかりでなく一緒に食べることができるのも大きなメリットだ。

同じものを共有することは、料理だけでなく空間や時間や情報や感情、記憶までにも及んでいる。

でも料理だけでなくなんでもお一人さま用に社会が適応しているので、きっと何不自由なく生活していけるようになるのだろう。

失われていく慣習を嘆いてしまうのは時代遅れの象徴かもしれないけれど、料理や食事はだれにとっても一番身近にある幸せや大切を教えてくれる人間の教科書であるように思う。

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