人にはそれぞれ得意なことと苦手なことがある。
文系か理系に分けられることもあれば、論理的か感覚的かに分けられることもあれば、外交型か内向型に分けられることもあれば、他にも血液型や兄弟構成や星座や占いに至るまで、いわゆる人間をタイプ別に分類してしまうと、たしかに自分の性格はこのような傾向があって、できることとできないことの境界が明確になって妙に納得してしまう。
本来なら人間はもっと複雑でどの性質ひとつとってもツマミで微調整できるグラデーションのようなものなのに、もしくは場所や対人関係によっても現れる感情に変化はあるのに、タイプで分けられてしまうと途端に自分をすっぽり型に嵌めて安心した気になってしまう。
自分はそういう性質だ、そういう人間だというふうに。
人間の性質がそれが先天的なものなのか、努力で変えれるものなのかも、ある程度の傾向はあるにせよ、厳密に絶対ということはないように思う。
自動車の運転のように、机の前に座ってるだけじゃわからない、実際に行動して体験してみてはじめてわかること学べることがある。
できなけれどそうなりたいからやってみるという、まずは心に入るスイッチに気づくことが何よりも大事な気がする。
でも多くは不安だったり自信がなかったり周りの声だったりと躊躇ってしまうもの。
青春が教えてくれるように異性への告白は後悔が残らないよう、かつタイミングを見計らないといけない。
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人生に失敗はつきもの。
思うようにいかないことは、いくつになっても終わらない。
上を見過ぎてももいけないし、下を見過ぎてもいけないし、自分のちょうどいいを探すのは自己分析や自己理解が欠かせない。
周りと比べてしまえば劣等感も生まれるし、優越感も生まれるし、でも社会の一員である限り比べることからは逃れられない。
自分らしさを正常に保つにはやはり自身の体験から得られる学びだと思う。
いくらタイプ別に分けられようとも、その型に嵌まると思い込まないこと、信じ過ぎないこと。
環境によって発動する感情は未知数なのだから、起こる出来事には柔軟に対応して、定まらない自分を許容すること。
周りは一貫性のある人間を望むけれど、人は誰しもが自己矛盾を抱えている生きものだ。
軸のブレない自分でいるためには、ブレてもいいと自分に許せることではないだろうか。


