人のあたたかさに触れるとき

どうしてだろう、やさしい人はその雰囲気だけで言葉を交わさずとも感覚として伝わってくるのは。

波長というか、振る舞いというか、“合う”とか“なんか好き”みたいな計らずとも動いた心に論理立てた説明書はまだ存在しない。

やさしさや親切が滲み出ているあの感じ。

もっと話したいとか、友達になりたい、ではなく、ほんのちょっとした行動で垣間見える奥行きのある人間性にどこか安堵するような気持ち。

そこに触れたとき、心がじんわりとあたたかくなる。

どちらかというと他者と関係性を築いたり、距離を詰めるのが苦手な方だけれど、仕事というフィルターを通すと一定の距離感が暗黙の了解で保たれているような気がする。

飲食店のサービスとは、ある種のエンターテイメントで、お客様を楽しませ、気持ちよく過ごしてもらい、感動さえ与えることを使命とするもの。

とはいえ、個人の考え方にもよるけれど、近づきすぎても遠すぎてもよくないわけで、その上、相手の距離の詰め方の性質も考慮しないといけない。

会話の奥まで踏み込んでいい相手なのか、ちょっとしたボケを言っていい相手なのか、そつなく対応して相手なのか。

料理を楽しみに来ているのか、友人との会話をしにきているのか、スタッフに会いに来ているのか、たまたま通りがかっただけなのか。

もちろん人の動機なんてグラデーションだし、お客様自身も明確に理解はしていないけれど、そんなことを瞬時に判断しているのは、理論というよりも肌感覚によるところが大きい。

それゆえ直感でわかる人が持つ心のあたたかさに触れたとき、この仕事をやってきてよかったことにうれしくなる。

こうした人から醸し出されるやさしさやあたたかさの根拠とはなんだろう。

経験の数々なのか、元々の性格なのか、親の教育なのか、適切な理由が見つからない。

よく人を傷つけたり、苦労した分だけ、やさしくなれるというけれど、そうでなくともなんとなく妙に落ち着いていてやさしそうで良識のある人もいる。

偏見かもしれないけれど、山登りや読書をする人に悪い人はいないと思えるのは、自然や教養に造詣が深いからだろうか。

他者の視点に立てる、行動を先回りして想像できる、気遣いや配慮もその人のやさしさを作る重要な要素だろう。

距離の取り方、声のかけ方、言葉の選び方、表情や仕草にもその端々は滲み出ている。

完璧な答えはないけれど、まずは自分がそのような人でありたいと思う。

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