存在を認める

褒められて嫌な気分になる人がいるのでしょうか。

でもあからさまな社交辞令はやめてほしい。

自分が特に頑張った部分を見てもらえたり、

気づいてもらえるとやっぱりうれしいもの。

人間なら誰だって褒められたり認められたい。

承認欲求が簡単に満たされるからこそ、

SNSがこんなにも普及しているし中毒性すらある。

画面に向かって一度タップするのは簡単だけど、

相手に面と向かって心の底から褒めるのってむずかしい。

恥ずかしさもあるだろうけど、

相手が自分より人生が順調にいってるものなら、

どこかで嫉妬や羨望の気持ちが生まれているはず。

自身の経験則に過ぎないけど、昭和世代の人たちは

わりと親に厳しく育てられた人が多いような気がする。

価値観が凝り固まっていたし、絶対的な存在だった。

実際に振り返ってもあまり褒められた記憶がない。

今でこそ褒めて育てようなんて言われるようになって、

確かにその通りだと論理的にも納得できるようになった。

誰だって褒めて認められてこそ前向きな気持ちになれる。

少しくらい失敗しても味方になってくれる人がいれば

新しい挑戦だってできる。

その一番身近な存在が親だろう。

幼少期から存在を肯定されることがいかに大切なことか。

ところが親子関係の確執でうまくいってないケースって

よく耳にするし、根深い問題だと思う。

子供を褒めることが苦手なのは、自分が子供の時に

褒められた経験が少ないから。

だから一概に親単体のせいにしても気の毒である。

受け継がれた悪しき習慣であり、それはその時代における

社会情勢とも密接に関わっているので、結局のところ

誰も悪くなっかたりするのだけど。

そうと気づけたのなら今この世代から後には、

悪しき習慣を断ち切ることが重要だ。

子供だけに限らず、身近な周りの人に対しても

何があっても大丈夫、その経験こそが財産だと

全力で存在を褒めて認めてあげることで、

時代も少し前に進めるのではないでしょうか。

関連記事

  1. ゆく川の流れは絶えずして

  2. 決断とは選択肢を捨てること

  3. 忙しい時と暇な時

  4. 若さは希望

  5. 都会とか田舎とか

  6. 早さからの解放