探して見つかったのは前からあったもの

コロナウィルスは大きな迷いをもたらした。

このままでいいのだろうか。

生活も仕事も、現在も未来も。

どこまでも自分の意思とは関係なく訪れる社会や時代の変化の中で生かされているという事実から目を背けることができなかった数年前。

同じことをしていても何も変わらないだろう諦めと、自分の意思で動かせる未来があるとしたら今何をすべきなのかという希望の狭間で十二分に考えさせられた。

いろいろ試すことのできた期間だったように思う。

みんなが大変な状況下でお客様の理解もあったように思う。

仕方なさ、から生まれる共感は気持ちの推進力になる反面、関係性に距離ができて空虚感すら漂いかねない。

そうだとわかっていても周りに対して細やかな配慮ができるような余裕がなかったことも事実としてあった。

これからの道を考えた。

今できること、今しかできないこと。

与えられた環境を最大限に使いながら関係性を絶やさずに続けていけること。

一貫性のあることが美徳とされる日本人的性質を踏まえると、変化していくことに対しては怪訝な目で見られていたのかもしれない。

ひとつに定まらず、ふわふわとしている様は。

それでもやっぱり大事なのは自分の人生だ。

それに誰にも理解されないであろう一貫性が自分の中にはきちんとあったし、理解してくれる人も周りにいたから救われた。

その間いろいろと探ってきたけれど、正直どれもうまくいかなかったように思う。

自分の持ち得る能力では限界があった。

好奇心も選択と集中で、分散しすぎていては何ひとつ身につかずに着地してしまうこともあるということを知った。

羽はふたつで充分なのだ。

何がしたいかではなく、何をしないか。

できるけどしないという選択。

自分が無意識のうちに培ってきたもの、毎日のように触れてきたもの、いつしか避けるようにさえなっていたもの。

何かを組み立てて、いちから作っていくこと。

料理。

それが自分にとって唯一の表現方法だった。

お客様と関係を築いていくための接点、社会と接続するための接点、自分という人間を形成するアイデンティティそのもの。

幸いにもそれを表現できる環境が今も静かに整っているではないか。

先のことは誰にもわからない。

また社会に何か変化があって考え方が変わるかもしれない。

それでも今思っていることを、今できることを、心を込めてやる。

むしろそうすることしかできない。

だれに何を言われようとも。

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