子供を産むのは親のエゴかと問われたら、文句のつけようがないくらい「YES」となる。
自らの意思で生まれてくる生命なんてこの世に存在しない。
しかしタイトルのような言説がわりと若い世代に蔓延しているのもわかるような気がする。
安定した人生も保証されない何かと生きづらい時代、心も身体も満たすには何かと不自由な時代、ぐんぐん広がる格差社会、経済力的にも希望が持てない。
なにかにつけ不安要素の多いただ生きるだけでも大変な現代社会において、子供を産む“意味”や“必要”を問いかけたく気持ちはよくわかるし、実際に生きにくさを体感している当事者が言ってるのだから説得力がある。
自分がこんなに大変なのだから子供にも同じ目に合わせたくない。
自分にはまだまだ経済的にも子供を生んでいい資格がない、育てる自信がない。
といったふうに。
文明が高度化しすぎた末路なのかもしれないけれど、これからの未来に今のところ明るい回答を見出せない。
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ただ、不安の矛先を親に向けているような気もする。
そして言い方も少し棘がある。
エゴと聞けば身勝手でわがままな印象がする。
親は自分たちの幸せのために子供を産むのか。
そもそも子供を産むことが幸せなことなのかという定義にも疑問が残る。
年齢的なリミットがあるから、周りが産んでるから、生物の本能として無意識的な子孫繁栄のために。
エゴとか幸せとか関係なく、そもそも子供を産む方が生物的に本能的に自然な流れであるにもかかわらず、子供を産まないという選択を取れるくらいに人間の理性がとても発達していることに少々驚いてしまう。
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実際に自分は子供がいる。
若いときに、さも人生において子供を産むことが当たり前のように特に何の疑問も持たずに子供をつくった。
お金の不安も、社会への不信も、将来の心配も気にせず、なんとかなるだろうと楽観的に思っていた。
大変だとひとくくりにもできないけど、いろいろと難問を解きながらも今までやってきたし、後悔はしていないし、楽しかったし、なにより学びがたくさんあって人間としての深みを持てた。
このような感想をエゴと言えるのか。
親に感謝をしてほしいはエゴかもしれないけれど、一緒に過ごしたいと思う気持ちや出来事を共有したい気持ちは対等な関係の上にあるものだと思う。
でも子供がどう思っているかは本当のところわからない。
互いに同じ気持ちでいれるならば、それが子供を産む本質ではないだろうか。


