考える作業

世の中がどんどん便利になっていく。

軽く、速く、コンパクトに。

それは変わっていった過程を知っているから。

携帯電話がない時代を知っている。

インターネットが遅い時代を知っている。

でも洗濯機がない時代は知らないから、

洗濯機があるのが当たり前な自然になっている。

衣服を手洗いをする意味も考えたことがない。

同じように今、生まれてくる子供たちは

すでにデジタルな世界が当たり前の自然で、

タブレットのスクロールやピンチは、もはやお手のもの。

そしてなぜそうなったかを考える必要もない。

便利や快適は、可処分時間を増やし人間を楽にしたけど、

考える作業を同時に奪っているような気がする。

昔は自分を表現したり、想いを伝えるのにも、

選択肢は少なかったけど、あの手この手で方法を考えた。

今は誰でも発信ができるようになって、

才能が見つかるチャンスは増えたものの、

考える作業をしなくなったから、またその必要がないから、

言葉の質が悪かったり、センスがなかったりするのでは。

誰かを叩いたり、誹謗中傷したり、他人のスキャンダルに

文句を言ったりするのは、誰にでもできる楽なことだから。

料理もいずれそうなっていくのかと懸念しています。

作り手の技術の奥にあるセンスや思想を考えて、

食事をすると、より深く味わえるのではないでしょうか。

関連記事

  1. プロローグと呼べるように

  2. 子供の心、大人の心

  3. 日々、物語の中

  4. 蓄積されていくもの

  5. 学びもタイミング

  6. やわらかく生きる

0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x