世の中がどんどん便利になっていく。
軽く、速く、コンパクトに。
それは変わっていった過程を知っているから。
携帯電話がない時代を知っている。
インターネットが遅い時代を知っている。
でも洗濯機がない時代は知らないから、
洗濯機があるのが当たり前な自然になっている。
衣服を手洗いをする意味も考えたことがない。
同じように今、生まれてくる子供たちは
すでにデジタルな世界が当たり前の自然で、
タブレットのスクロールやピンチは、もはやお手のもの。
そしてなぜそうなったかを考える必要もない。
便利や快適は、可処分時間を増やし人間を楽にしたけど、
考える作業を同時に奪っているような気がする。
昔は自分を表現したり、想いを伝えるのにも、
選択肢は少なかったけど、あの手この手で方法を考えた。
今は誰でも発信ができるようになって、
才能が見つかるチャンスは増えたものの、
考える作業をしなくなったから、またその必要がないから、
言葉の質が悪かったり、センスがなかったりするのでは。
誰かを叩いたり、誹謗中傷したり、他人のスキャンダルに
文句を言ったりするのは、誰にでもできる楽なことだから。
料理もいずれそうなっていくのかと懸念しています。
作り手の技術の奥にあるセンスや思想を考えて、
食事をすると、より深く味わえるのではないでしょうか。