物事を考えるためには時間が必要になってくる。
忙しい毎日、氾濫する情報、承認欲求合戦。
洗濯がボタンひとつでできるようになったにも関わらず、
自由に使える時間はどんどんなくなっていく。
一人で考える時間もどんどんなくなっていく。
何か言葉を書くにしても、何か発言するにしても、
それらは表現をするという行為で、
自分の存在を示す上で欠かせないものだ。
人間なら誰でも話せるし、書くことはできるけど、
良質なアウトプットをしようと思ったら、
それなりに良質なインプットが必要になってくる。
よってインプットをする量、考える量がものを言う。
その作業をする時間をいかに確保するか。
目の前のしなければいけないことに追われていたら、
どうしても視野は狭くなり、選択肢も少なくなるのが
人間の性質というもの。
自分の経験にも当てはまるからこそ言えること。
例えば、会社も個人も経営や家計を回すために、
どうしても目先の利益や収入を求めなければいけない。
短期の視点になると、妥協や我慢がセットで付いてくる。
逆に長期の視点だと、不安や不確実がセットで付いてくる。
決して正解はないけれど、歴史を俯瞰してなぞってみても
長期の方が有利になることが多いと証明されている。
今の社会システムでは、ライフスタイルのイベントが、
隙間なく詰まっているので、ひとたび人生を客観視して
あえて考える時間をつくることが必要だと思う。
幸いコロナウイルスはそんな時間を与えてくれるし、
考える時間ができたことによって、
短期の歯車から抜けだして、新しい動きをする人が
垣間見えるのも、なるほど必然だと感じずにいられません。
