
生きていたら誰でも迷うことがある。
いまだにどこに向かってるのかわからなかったりする。
人生は選択の連続。
選択にはエネルギーをたくさん使う。
人は一日過ごすだけで何万回と選択しているらしい。
正解が用意されていない時代に、
いかに自分だけの納得できる正解を見つけられるか。
過去に例を見ないほど価値観の移り変わりが早いので、
誰にもその答えはわからない。
同じ生活を繰り返していると、偏った考え方が固執して
世界を狭くしてしまうことがあるように思う。
人生のステージでは、いつも何か社会の組織に属している
ことがほとんどで、空白の時間というものが少ない。
浪人か海外留学かニートは比較的空白の期間と言える。
思い込みをまとった社会の圧は、気づかないところで
若者の可能性を奪っているのかもしれない。
まだまだ古き良き時代の慣習を押し付けられて、
身動きが取れず苦しめられている人が多いと肌で感じる。
これからくる未知の時代の中で、世界を広げるためには
一度社会の歯車からはみ出して、ゆっくり考える時間を
設けるのはひとつの手として有効な気がする。
それと失敗をすることも大事で、何か挑戦をしなければ
いけないというほどではないけれど、そこには何かしらの
教訓が得れるから損をすることがない。
年長者ができることは、方法を教えることでもなく、
過去の成功論を押し付けるでもなく、
アイデンティティの全てを許容してあげることだと思う。
何が起きても信じてあげ味方でいてあげることで、
心理的安全性が確保され行動に移しやすくなる。
自分の都合を優先させてしまうことが、
可能性のあるエネルギーを削っていることになるので、
こうして地球が汚染されていくのではないのか。
利他こそが利己につながるはずなのに、
人は目の前の利益を優先したがる。
迷ったときは休めばいい。
そして理解ある人に味方になってもらおう。
