特別な日のごはんに利用しているとよく言われるのは、
敷居を高くしてしまったからだろうか。
確かに予約制にしたり、数量限定にしたり、
こちらがお客様を選んでいると言えるかもしれない。
たくさんの人に利用してもらいたい気持ちはあるけど、
どうしても丁寧な仕事しかできないので、
いい意味でその領域に行くことを諦めている。
大量生産はどうしても作業が粗くなるし、
お客様との距離が遠くなってしまうのは、
現状の社会システムの理と言えると思う。
きっとこれはタイプの問題だ。
自分がどのポジションに身を置きたいか。
そのためには自分をよく理解して、周りに流されない
強い意志とぶれない軸を持ってないといけない。
みんなと同じことをしていたら競争が激しいだけで、
上には上がいてどうにも勝ち目がない。
時に世の中で活躍してる人や成功してる人を見ると、
羨ましい気持ちになるし、自己否定しそうになるけど、
結局は人間なんて欲深い生きもので、
だれにとっても”ないものねだり”は起こりえる。
自分にしかできないことをもっと表現していこう。
特別な日に特化してもいいかもしれない。
希少性が価値を生んでくれるかもしれない。
届ける範囲は狭くなるかもしれないけど、
狭く深く関わり合う方が心情には合っている。
自分にとっては何気ない一日でも、
だれかにとっては特別な一日だってこともある。
特別な日に寄り添えるなんてとても光栄なこと。
その方が丁寧もいきるし気持ちものっかる。
だれかの特別を大事にしたい、そこに向かおう。
