食からはじまる豊かな記憶

いつもお子様の誕生日に利用してくれるお客様がいる。

誕生日は誰にとっても一番大切な自分だけの記念日。

その日の出来事はいい記憶や思い出になりやすい。

裕福ではなかった子供の頃、

誕生日の時にだけ外食の許されるお店が

たとえファミリーレストランだったとしても、

それはもう楽しみでしかたがなかった。

時代背景を考えても食文化は今ほど発達しておらず、

お店も少なかったから、外食の価値が高く、

ごちそう感がすごくあった。

具体的に何の料理が美味しかったという記憶より、

料理や食をとりまく出来事の方がきっと重要なのだ。

今の子供たちはそれこそ美味しいお店や料理が

日常的にあって、どこまでの特別感を抱いているのか

当事者にはなりきれないからわからないけど、

出来事としての記憶は今も昔も変わらないはず。

誕生日には決まったお店に行く、というふうに。

それは食からはじまるからこその豊かな記憶なのでは。

同じ出来事でも、ものを買って得られる幸せではなく、

体験を通して得られる幸福感。

旅行なども同じように言えるでしょう。

料理は食べたら消えてなくなるけど、

今もこうして子供の頃の外食が楽しみだったことを

思い出せるように、記憶にはしっかり残っている。

その点において食に関わる仕事というのは、

誰かの人生の記憶を豊かにするような

ものさしでは測れない価値のある職業だと思う。

対価や報酬はいったんおいて、時間をも超えて、

心の中に残っていくもの。

たとえお店がなくなったとしても、

たとえぼくが死んだとしても、

この先お客様の心に豊かな記憶として残っているならば、

それはそれで使命を果たせたと言えるのかもしれない。

冒頭のお子様はどう思っているんだろう。

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