表現の課題

何かを表現するにしても、どこを見てほしいか、何を受け取ってほしか、どう評価してほしいかは作り手によってきっとそれぞれ違う。

解釈をお客様に委ねている場合もあるだろし、作り手が丁寧に背景を解説する場合もある。

いずれにしても音楽や映画のように対象が広くなると、ある程度のわかりやすさみたいなものを求められるような気がする。

みんなが知っていることはみんなで共有もしやすい。

反対に現代アートや絵画のような作品は、そのよさを理解するのは簡単ではないし、何よりとてもわかりにくい。

ロンドンではいろんなアート作品を観たけれど、ほとんどが正直よくわからなかった。

芸術は感じるものと言われればそれまでだけど、なんとなく素通りしてしまっているもったいなさと、受け取れきれない自分の許容度に問題があるような気がして無力感を覚えた。

でも日々に散らばっているあらゆる芸術作品をそのように目を凝らして眺めているわけではなく、適度にやり過ごしながら普段の生活を営んでいく。

反対に料理を作る側としての視点で考えてみると、ぼくの場合はただ食べて美味しかったという言葉だけよりも、料理のあるシーン(場面や時間)が楽しいものになったとか、哲学を持って取り組んでるだとか、細部まで丁寧にこだわっているとか、たかが一つのお弁当にそのような意図までもを汲み取ってもらえることが唯一のご褒美だった。

これも人によって感じ方はそれぞれだろう。

美味しいという言葉だけで十分な人もいるし、出会えたことがうれしい人もいるし、売上最優先の人だっている。

どう表現して、何を望んで、何を得たいかは千差万別であっていい。

その際にはどうしてもお客様の選択だって起こりうる。

たとえ頭では理解できなくても感じずにはいられないような表現ができたらいいなと思うけど、それを叶えるにはやり方、場所、タイミングが大事になってくる。

自己理解も含めてどの表現が一番自分に合った環境に適しているのかはまだまだ模索中。

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