受け取る側の感性

同じ本を読んだり、同じ音楽を聴いたり、同じ映画を観ても人によって受け取り方は変わってくる。
今現在の心境も左右するし、生きてきた環境もあるし、感性の度合いもあるだろう。
同じ部分で共感する人が見つかったら親近感があってやっぱりうれしいし、たとえ共感する部分がなくても違う意見や解釈を発見できるのはおもしろいと思う。
何も感じていなくて話にならないと残念な気持ちになる。
趣味を通して生まれるコミュニティはそういった共感性が源泉になっている。

インターネットによって発信が誰でも自由にできるような時代になったのはとてもいいこと。
だけど発信者がどれだけ確信に迫る大切なことを言っても、受け取る側にその素養がなければ想いは届かない。
よく宝くじが当たった人の人生の末路がおかしくなると言われるのは、心の器を広げる準備ができていないから。
やっぱりどんな生命も急激な環境の変化にはついていけないから、徐々に慣らしていきながら人生のステージを上げていくのが最善なんだと思う。
他者と共感するということは、そのステージが同じ状態だということ。
感性の近い人といると心地がいい。
料理もお店も作り手の感性の一部であって、そこを訪れる人たちはみんな似ている人たちなのだ。

いずれにせよ受け取る側の姿勢次第で世界の見え方はいくらでも変えられる。
それはつまり自分次第ということ。
何事にも興味や関心を能動的に持てば何だって吸収しやすくなる。
子供が学校の勉強より歌の歌詞やゲームのやり方をすぐ覚えるように。
自分の感性の器を徐々に広げていくことで、今まで気づけなかったチャンスにも気づけるようになると信じている。

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