迎えにいくという感覚

例えば美術館に行くような時は、アートを見るという意識にスイッチが入る。
理解しようと試みたり、感じようと放たれてみたり。
これって鑑賞して受け取る感性は結局、自分の心の状態によって見え方はいくらでも変わるということ。
おもしろい実験があって、美術館で作品とは関係のない普通のメガネを床に置いてみたら、お客さんがそのメガネをアート作品だと認識してしゃがみ込んで写真を撮り始めたという。
何をどう見るかは自分の心の準備次第なのだ。
モノや情報で溢れ、誰かと比べることで本来あるべき自分の状態をどうしても忘れてしまいそうになる。
最近の片付け術やミニマリズムやマインドフルネスに需要があるのは、そんな心を取り戻そうとする必然の流れなんだろう。
茶道や枯山水もないものの中に美しさを見出そうとする行為で、日本人なら侘び寂びの精神が宿っていておかしくない。

意識的に何もしない時間をつくると見えてくる何かがある。
散歩をしている時や、お風呂につかってる時にアイデアはひらめきやすい。
開放されるというか、大事なものを迎えにいくというか。
そうして受け取る姿勢でいるだけでも些細な幸せを見つけることができる。
ネット時代において承認欲求を追いかけることにエネルギーを消耗してしまった次のフェーズとして、何か違う価値転換が起こるような気がしている。
美術館に足を踏み入れるような意識で自分の人生を迎えいれるならば、感性は冴え渡りどんなものも美しく見えるに違いない。

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