アートの可能性

アートって、一言でいうと「メッセージ」だと思うのです。
(この場合、メッセージとは”伝えたいこと”です)
表現と訳すのはとても掴みどころのないものですし、表現の手法も様々です。
必ず人間という作り手がいるわけですから、本人が自覚していなくても無意識下に存在する自己から発せられる何かはメッセージと呼んでいいと勝手に思っています。
期待、希望、意図、承認、渇き、問い、そんなニュアンスです。
度々、美術館へは足を運びますがすべてに感動するわけではありません。
わからないことがほとんどと言ってもいいでしょう。
わからないことをわからないままにしておくのもいいと思っています。
作り手のメッセージはもちろん全員には届きません。
違う解釈をされることだってあるわけです。
その時にわからなくても振り返った時にわかること、自覚をしていなくても何かしらの形で人生に活かされていることもある気がします。
今回行った展覧会の作り手がメッセージを言語化しているように、同じ毎日を繰り返しているだけではどうしても視野が狭くなってしまいます。
常識や慣習や価値観は時代ごとの共同幻想で、所詮は虚構(思い込み)に過ぎないわけです。
違う世界に触れること、知らなかった感性が育つこと、想像力が拡張されること、アートにはそれらのきっかけになる可能性が秘められています。
本当の幸せや豊かさをつくるのは心の担当です(言い切る)。
メッセージを受け取るためにも自分の中に余白をあけておかないといけません。
たとえ受け取れなくても行動したことに意味があると思います。

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