思い込みの仕方なさ

男だからこうあるべきだとか、女だからこうあるべきとか、父親として、母親としてなど、それぞれの立場における役割のようなものが存在する。

(こういうとき男を先に記述したことになぜか憚られる)

教育者、サービス提供者、上司部下の関係、社会的な立場も同じようなもの。

あるべき姿というのは大枠では同じだけれど育ってきた環境によって一人一人微妙に認識が違ったりする。

時代や社会による変化の影響も大きい。

それらがいわゆる価値観と呼ばれるものかもしれない。

振り返れば、未熟なうちは自分の価値観が正解だと信じ、それを相手に押し付けていたように思う。

逆もしかりで人同士の互いの衝突は、そんな各々の認識の誤差がすべての原因と言っても過言ではない。

些細な喧嘩も、宗教の違いも、戦争も。

きっとはじめから物事を達観できるような人はいなくて、生きていく中で衝突して傷つけて傷つけられて苦しんで反省して、様々な経験を通して次第に身につけていく優しさなのだと思う。

それでも、たとえいい大人になっても、争いはいつの時代も絶えない。

物心がつくまで幼少期の環境から与えられる影響はどうしても大きい。

子供はまだ目が見えなくても、言葉がわからなくても、しっかり感じている。

養育者の振る舞いや考え方やものの見方を自然と植え付けられる。

それ以外でも、住んでいる地域の慣習や周りの人の言動を見て、これはこうあるべきなんだと思い込んでいく。

今見ている世界でもメディアの情報に多くの人々がある意味で扇動されている。

人生設計とは、働き方とは、結婚とは、幸せとは、なんて風に。

おそらく人は社会生活を営んでいる以上、情報や思い込みから逃れられない。

もうそれは仕方ないことだとも言える。

そう諦めつつも相手に対して思い込みの理解を深めるためには、それなりの避けて通れない苦痛を伴うような気がする。

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