評価は栄養

何のためにお店をしているのか、何のために料理をしているのか、と問われた時、相手に認められたい、褒められたいからと答えることが一番の理由でないにしろ、目的を果たすためには少なからずひとつの原動力にはなっている。

人はだれしも社会に属している以上、他者との関わりは避けられない。

その関係性が世界には網目のように広がっている。

子供なら親に褒められたいし、大人なら上司や家族に褒められたい。

だれだって悪口は言われたくない。

いいことも悪いことも他者評価というものは、その人の人生をも左右させるほど影響力があるように思う。

いい評価で言うと、SNSが顕著なように、注目を浴びることを目的に数字ばかり追いかけてしまうと、過激で中身のない注意を引くような活動になってしまう。

個人だけでなく企業もアルゴリズムをハックし、人の行動心理を攻略するようなマーケティング手法を至るところで使っている。

いかに気を引くか、いかに売上を上げるか。

手段と目的が入れ替わってしまうことは往々にしてあると思う。

それは評価ばかりを求めてしまった結果だろう。

戦時中においても出世に執着しすぎて、人を殺めることになんの抵抗もなかったアイヒマンという軍人が実際にいたように。

悪い評価で言うと、幼い頃から悪態をつかれるような環境で育ってしまうと心の拠り所がなくなってしまい他者に対して恐怖心を覚えてしまう。

だれも信じることができなくなった末路は殺人に及んだりもする。

常々、そのような痛ましい事件に触れるたび、もっと根本から聞く耳を持ち、寄り添える人が一人でもいたら救えたんじゃないだろうかと思ってしまう。

謙遜もほどほどに他者から認められること、褒められることが嫌な人はいるのだろうか。

評価は生きる上で必要な栄養だと言っても過言ではない。

だからといって摂りすぎても、足りなくても駄目で、適度な量が必要なんだと思う。

何事も燃料がないと動かないから。

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