純粋という尊さ

大人になっていく過程で人は誰しも、いろんな知識や経験を積み成長していきます。
でもそれは見方を変えれば思い込みが強くなり、ぼんやりとしていたものが輪郭を帯びてきて、いくつもの枠をつくるということでもあります。
これはこういうもの、そうするべき、こうでないといけない、と言ったように考えが固まっていく感じです。
時代ごとの社会性や倫理観も相まって、だいたい同じような考え方の大人ができあがっていきます。
反対に子供のうちは赤ちゃんが何でも口に入れようとするみたいに、目の前のことに興味関心を持てることはまさに純粋さの原石だと思います。
生まれたばかりでは知らないがゆえに沸き起こる好奇心を持っていて、時間やお金や色や左右の概念もきっとありません。
そこから立ち上がり失敗をしながら、教育されながら、次第にいろんなことを学んでいくわけです。
その過程で大人になることとトレードオフの関係のように純粋さが薄まっていくのではと感じました。
なので若い人が持つ純粋さに出会い触れると愛でたくなります。
自らを顧みて大人になったことの良さを感じると同時に、失われた純粋さが呼び起こされるような気分です。

でもみんながみんな同じというわけではありません。
大人になっても染まることなく純粋さを失わず大切にしている人もいます。
幸か不幸かそのような人は一様な社会に馴染めずマイノリティな存在だったりします。
職業で言うなら大枠ではアートに携わる人に多いかなという印象です。
変な人、と呼ばれることも多いですがそれは純粋であることの裏返し。
より生命に近いところで、動物的に、人間らしさを保ちながら暮らしている人たち。
これからもっと早くなっていく変化の時代、その”根強さ”かつ”しなやかさ”に希望を感じている自分がいます。
それに”愛”の比重は純粋さの方にあるような気がしてなりません。

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