バトンをわたす

見返りを求めない人っているのかな。
何かしら相手に何かを与えたら期待してしまう人がほとんどなのでは。
例えばボランティアは、無償の活動とはいえ社会の役に立った実感や関わった充実感が割と直接的に受け取れる。
献血する人が例年減っているのは役に立った実感が感じられにくいからと言われている。
やっぱり与えた分だけ何かの対価を欲しがるのが人間のさがなのか。
子育てにおける無償の愛はどうだろう。
ほとんどの親は子供が成人して自立するまで生活の面倒を見る。
返してもらうのは笑顔だったり寝顔だったり、新鮮な世界の切り取り方かもしれない。
かけがえのない思い出や記憶が蓄積され、将来に支えてくれたりもする。
無償は本当に無償と言えるのだろうか。
もっと時間軸を俯瞰してみるならば、親が子供だった時にその親からも無償の愛をいただいている。
そしてそれはずっとずっと昔から受け継がれてきたもの。
目先の見返りだけを求めていたら考えは窮屈で少し視野が狭くなってしまう。
バトンをわたすという言葉はとてもいい表現で、長期視点で物事を捉えた方が世界はいい循環になると思う。
見返りを超えたところにある、内から湧いてくる気持ちこそに人間らしさが含まれている。
そうせずにはいられない感情は大切にしたほうがいい。

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