発酵する場所

基本的に多くの人が否応なく経済という社会活動の中に組み込まれて生きています。
世捨て人でなければ人は誰かと関わり合って生きています。
どの経済圏に自分の身を置くか。
大きく言えば国から考えないといけないし、都会とか田舎とか程度にもよりますが、どの場所が居心地がよいのかそれぞれの価値観で変わってくるでしょう。
個人的には都会の人が多く関係性の薄すぎるのも違和感がありますし、田舎の何もない感じと関係性が濃すぎるのもしんどくなりそうで適切な場所はまだ見つかっていません。
暮らしはもちろん働き方も考えさせられます。
今でこそリモートワークは当たり前になりつつありますが、飲食をはじめ社会のインフラに関わるエッセンシャルワーカーの人たちは現場から離れられません。
どこまでコンピューターやロボットが人の仕事を奪おうとも、それでも人と面と向かって接したい、そのような仕事がしたいという気持ちはある種の美意識さえ感じます。

人が多いところはどうしても分業制になるので、流通が見えにくくなります。
食に携わっているものとして、基本的に身体に良くないものを食べることは避けていますが、身近な食品のほとんどが何かしら企業の利益が優先になっているような気がします。
何かしら良くないものを使っていたとしても、流通の経路でなかったことにできるルールもあるみたいです。
消費者からしたら見えない部分なので問題意識が生まれる余地もありません。
一から十まで正しい行いをしようと思ったら、自給自足になりますし、時間がたっぷりないとできません。
みんなが信頼して関わり合っていく社会が一番理想なのでしょう。

菌や微生物の世界、作為性のない本来の自然から生の恵みを受けようと思ったら、やっぱり適した環境や時間が必要になってきます。
それを整えるためには、あまりにも地球が資本主義システムによって汚されているような気がします。
だからといって本来の自然を愛するなら、文明の発達していない時代が理想なわけで、そこに絶対的な正解はありません。
自分の感情がどこに納得をして落とし所を見つけれるか。
誰がなんと言おうと自分の中にある信念こそが唯一の正解なのかもしれません。
環境を整え、自然に身を委ね、ただ待つ、という姿勢がとても利他的で共鳴しました。

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