善意のつながり

気持ちのよい天気に稲刈りのお手伝いに行ってきました。
無心に稲を刈りながら農業にまつわるあれこれを訊ねます。
大きな流れで見ると農業も機械化が進んでいて、効率や生産性に向かうのは自明の理です。
たとえ手間と時間をかけて美味しい野菜を作ろうとも、市場にきちんと評価されなかったら意味がありません。
料理の世界も同じような問題を抱えていると思います。
ただ農業は他にも天候や獣害などのリスクもあり、極めて変動的な要素が多くより難しさを伴います。
それでも納得のいくいいものを作る人がいることは、そうしないと自分の心の気がすまないから。
こだわりは時によくも悪くも捉えられて、どちらが正解とも言えません。
まっすぐいいものを作る人は自分の心に正直なだけだと思います。
おかしなことをおかしいと思える感度があって、世界に対して違和感のネットを張っているということ。
それはもう報われるとか報われないとかではなく、理解できる人だけが集まって、その中で経済が回って暮らしが成り立つならそれでいいのかもしれません。

なんだか最近はジャーナリストのような挙動を自然にとっているような気がしています。
飲食というよりも、もっと高次な人の営みにまつわる贈与や利他や倫理にとても強い関心があります。
食を起点にそのようなことを考えていけないだろうか。
先の農作業の報酬はお弁当と少しの野菜。
何にも不満はありません。
晴天、澄んだ空気、大地の感触、現場の声、心地よい疲れ、終わった後の温泉、どれもお金では代替できないような価値があると思います。
それに自発や奉仕の精神も大事な要素でしょう。
善意と言ってしまえば恣意性が含まれますが、その行為が次に巡っていけば少しは社会が良くなるのではないでしょうか。
先に渡す。
次に渡す。
五十音は「あい(愛)」で始まり「をん(恩)」で終わります。
ここに大きなヒントがあるような気がしています。

これについてはペイフォワードという映画がおすすめです。

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