飲食業界は過酷な労働環境だ。
手作りである以上はどうしても作業に時間がかかってしまう。
効率や生産性を高めるには限界があると思う。
調理器具の技術革新はある程度の時短を叶えてくれるけど、必ずしもそれが正解だとは思えない。
例えば、食材を包丁で切るのとスライサーで切るとでは見た目は同じでも言葉では説明できない何かがそこに潜んでいる。
表面的な美味しさだけではなく、心に“すっ”と入り込んでくるような美味しさには人の手から生まれた文脈が上乗せされているような気がしてならない。
料理を作ることにおいて、いかに生産性を上げるかが目的になってしまうと人の気配がどんどん消えていく。
労働環境を優先すべきなのか、人が作る作品としての料理を優先すべきなのか、今に始まった問題ではないのだけど。
若い頃に培ったタフな体力というのは、良くも悪くも今に活かされている。
おかげさまで忙しくしていて、常に時間との戦いの中、数分おきにやってくる欠伸を抑えながら作業をこなすことは大変に違いないのだけど、まだまだ動ける自分がいることにもびっくりする。
お客様が求めていることに応えるのは張り合いになるし、待ってる人がいて締切に間に合わせることは責任感が生まれる。
とはいえ、どこまでも動きっぱなしでは反対に自分が消耗してしまう。
自分に課したやりがい搾取、どこでストップをかけるか、いつまでもその匙加減はわからないままだった。
どこまでも動けるだけに。
まだ元気なうちにいろいろ準備しておかないといけない。
手を抜かないこと、丁寧に作ること、真摯であること。
心の赴くままに作り上げてきた自分のポリシーのようなものが、きちんと伝わっていることを実感した。
料理とは、美味しさとは、人と人とが心を通わすためのツールに過ぎないのでは。
直近になって凝縮されたたくさんのお客様と接する中で、いろんな思い出や感情が巡っている。
落ち着いたならまだ言葉にならないそんな感慨深さを丁寧に解きほぐしたい。