肩書きと本当の自分

料理人、何かを言いたい人、挑戦する人、親として、MEEKさん、どれも社会的な肩書きの数々。

誰しもがそれなりに何がしかの肩書を身に纏って生きている。

責任や使命を果たそうとしたり、成長しようとしたり、世間体を守ろうとがんばって生きている。

少なくとも周りを見渡せば競争社会の一部で、今よりも明日以降の未来をよくすることが多くの人のモチベーションになっていると思う。

そうして人類が前に進もうとしてきたからこそ、今こうして豊かさの恩恵を受けていることは先人たちに感謝しないといけない。

それでも全員が全員幸せになることは難しいのだろうか。

よくなったらなったで新しい問題が生まれては解決してを繰り返している歴史であるようにも思う。

格差問題をはじめ、数字で勝ち負けが決まってしまう世界線、選択肢が多過ぎて逆に悩んでしまうという問題、みんなと同じようにはできない生きづらさや窮屈さ、総じてメンタル的な不調にベクトルが向いているのは決して他人事でもないから困っている。

自分で選び身につけていった肩書きがまるで自分でないように感じるのは、無理をしていたからなのか、社会の波に流されてしまっただけなのか、今もまだよくわからない。

仏教や禅の教えでは本当の自分なんて存在しないと説く。

考えすぎるという趣味は時に楽しくない。

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