価値観と感性

価値観というのは、どの価値を優先するのか、大切にしていること、人それぞれだし環境や時代によって変わっていくもの。

一般的にはそのとき足りてないものに価値を見出す。

よく高齢世代は食べるものに価値を、中年世代はお金に価値を、若い世代は承認欲求に価値を感じると言われている。

他にも時間なのか、ステータスなのか、キャリアなのか、人によって大切にしていることの優先順位が違う。

お金が大切ならもっとお金がほしいと思うし、時間が大切ならもっと時間がほしいと思うだろう。

何かものを眺めるときも、自分の中の価値観を基準にする。

値段を見るのか、時間の奥行きを見るのか、他者からの評価を見るのか。

だから価値観とはものの見方や考え方だとも言える。

料理を食べて、値段を気にするのか、調理の技術に気が向くのか、その料理を食べた自分がどう評価されるかが気になるのか。

価値観の合う人といるのが心地いいけれど、価値観の合わない人といるのも発見があって楽しい、らしい。

感性は価値観と違って環境に影響しないものとして捉えている。

直観的に感じるもの、すぐに言葉にできないような感覚、海を見てきれいだとか、空の色がきれいだとか。

感動して涙が出るとき、意思よりも先に自然と身体が反応してしまう。

でも感性は、歳を重ねるにつれて減っていく傾向にある。

(感性の総量がみんな決まっているものとして)

なぜなら学校教育を経て社会に出ていく上で、みんなと同じルールでやっていくためには少なからず感性を抑えないとやっていけない場面があるから。

感性から生まれる自由な発想は、時に不正解だと言われ、知らず知らず心のうちに閉じ込めてしまう。

前ならえで培ってきた社会でもあるけれど、感性は確実に失われているような気がする。

何を大切にしているかよりも、何に心が動くのか。

人と関わるとき、親密な関係になるとき、価値観が合う、よりも、感性が合う、の方がよっぽど大事なんじゃないだろうか。

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