社会や世間、お客さんというのは実体のないもの。
にもかかわらず人は、どう見られているか、どう思われているか、を気にしてしまう社会的な生きもの。
周りと比べては自分の立ち位置を確認する、そのことからは逃れられないのか。
みんな人間という同じ種類で優劣はないはずなのに、勝ち負けで判断されるような現実世界になっている。
等しくみんな資本主義ゲームのプレイヤーで、いかにうまく駒を進めるかを競い合っているだけなのに、勝手に負けたような気分になるのはなんだか腑に落ちない。
またある人から見れば、のんびり休んでいてそれがうまくいってる風にも見えてもおかしくはない。
何を基準にして、どんな物差しで世界を眺めるかは相対的なことに過ぎないから。
感受性が強いと余計なことまで受け取ってしまう。
厄介なことによく思われてないこともわかってしまう。
一人で勝手な解釈をして、勝手に傷ついているだけなのかもしれない。
こうでないといけない社会的な責任も勝手に背負ってるだけかもしれない。
幸福のあり方も本来は人それぞれなのに、大衆が望む数値化されやすくわかりやすい幸福の方にどうしても引っ張られる。
そしてテクノロジーの進化がよりいっそうそのような構造にしている。
さらに加速していく傾向にこれからの現代人はどのような反応をするのか。
心の領域ははっきりと見えない分そう簡単に解決できるものでもない。
いかに起きた出来事にいい解釈を与えてそれを受け入れるか、結局は自分次第なんだろう。
頭ではわかっていても心と身体がまだ追いつかない。