言葉は生もの

昨日なにを食べたか忘れてしまうように、話したことも書いたことも感じたこともだいたいのことはそんなに覚えていません。
一言一句を記憶に留めておいたら人生がちっとも進みません。
会話も文章も言葉はその時に口や手から出てきたもので、その一瞬にこそ意味があるような気がします。
もしかしたら魚よりも鮮度が短いかもしれません。
一度身体から出たものをまた戻すのは困難です。
唾や汗や血を再び口に入れるのが難しいように、言葉も同じで身体の代謝の一部だと思います。
循環させないと悪い物質が詰まって病気になってしまいます。
こうした文章や取材記事も頭の中の考えを文字にした途端に固まってしまうというか、鮮度さえ失ってもう回収できずに記憶から消されるを待つしかありません。
どんな言葉も大きくやり直すことはあまりなく、不思議と残ったままの状態になることが多いです。
身体から出るまでの考えてる時間がとても長いので、出てしまいさえすればスッキリするからかもしれません。
つくづく思考を言語化することは簡単なようで大変な作業だと思います。
ちっぽけなものにもなりうるし、いいものが出てくる時もありますし、それが相手に伝わるかどうかはまた別の問題です。
言葉という生ものは食材を扱うよりも難しいけれど、うまく調理できた時の美味しさはどこまでも届いていきます。
記憶に残るような言葉や、誰かの人生をいい方向に変えれるような言葉を見つけることができたならば、美味しい以上の感動がそこにあるはずです。

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