朽ちること寂びること

都会から少し離れただけで空き家や空きテナントの張り紙がちらほら見えてくる。

無理もない、否応なく日本は人口減少が進んでいるから。

不思議だと思うのは、それらの建物がそのまま放置されていること。

人の気配がない不気味さはなんとも形容しがたい。

撤去する人も時間もないのだろうか。

廃墟があるだけで街の景観は少し悲しさを帯びている。

廃れること、枯れること、朽ちること、にどこか美しさは含まれない。

現代の資本主義社会では人口と経済成長は密接につながっているので、この先経済活動が活発になることはどうしても考えにくい。

魅力的な街だと思っても、人と対面で関わるような商売は人口が少ないとやっていけない。

実際に地方で目立つ看板の数々は都会で見る景色とそう変わりない。

いかにも昭和を感じさせるようなお店と大手企業のお店との対比はきっとこれからも進んでいくのだろう。

若い世代のファミリーも休日はピカピカのショッピングモールに灯りを求めるように集まっていく。

明暗はさらに濃くなり、あらゆるものの二極化はどんどん加速していく。

そのような時代の流れは、もはや誰にも抗えない力学がはたらいていると思う。

地方活性化も結局は人の取り合いで、上手なマーケティングや今どきのデザインやブランディングの勝負に勝った街だけが生き残っていく。

街そのものがサービス化していき、これからは国そのものもサービス化していく。

UAE(ドバイ)やシンガポールみたいに。

昭和の産物と西洋のアンティークはどうしてこうも見え方が違うのだろう。

日本にも「寂びる」という言葉があるように、経年変化で現れる美意識を持っているはずなのに。

個人的には、高度成長期に急いで大量に作り過ぎたことや、単純に日本人の欧米化によるものだと思ったり。

結局残っているのは、お城やお寺や町家のような景観など文化的なものばかり。

兎にも角にも人口減少と大きく関わっているような気もする。

余計なお世話かもしれないけど地方の飲食店に入ると、よくやっていけるなあと心配になってしまう。

深刻だけどとてもむずかしい問題。

もしかしたら煌々と灯りを照らすショッピングモールが日本人の「寂びる」感性を忘れさせているのでは。

暗く見えないところにこそある美しさを失いたくない。

関連記事

  1. 想うことも感謝

  2. アイデアは星座のように

  3. わかっていても

  4. 心も体もテイクオフ

  5. 言葉が伝える

  6. 要約と体験価値