権威について思うこと

巷で権威性に関連したニュースの多いことが最近妙に気になっている。

目上の人に対して意見を言えないこと。

なぜなら言わないことで成り立っているご縁があったりするので、個人の人生設計の指針にも大きく寄与している。

こびる、おもねる、へつらう、とりつくろう、ゆちゃく。

これらの能力はどの社会にも、どの業界にも、最小単位である家族にも存在していて、コミュニティという括りで考えるならば、避けて通れないものでもあると思う。

度を過ぎると倫理や道徳の規範に反していると分かっていても、何も言えなくなってしまう構造に陥ってしまうのが危ういところ。

そして規範も時代によって変わっていくのでその境界線は極めて曖昧になっている。

昔は国家やメディアの権威性も保たれていた。

なにより知る術がなかったので絶対的な存在だった。

バレなかったら何をしてもいい、という考え方だ。

それがインターネットで透明性が高まり、公平な意識も高まり、ジェンダー格差も縮まり、よりフラットな社会を目指そうという動きの中で、度の過ぎた権威性はこれからもっと露呈して行きそうな気がする。

というかそもそも世界は権威で満ちている。

資格、受賞歴、学歴、肩書、フォロワー数などを見て人は誰かを“すごい”と判断する。

上を目指そうとするなら付き合いやコネクションは欠かせない。

言った方が得なのか損なのか、別れた方が得なのか損なのか。

大人になると自分の保身のために感情や正しさよりも損得勘定を優先する。

この正しさを精査する上で大事なのが時間軸だと思った。

目先のことだけを考えてるから権威に従順にならざるを得ないわけで、もっと長い時間で物事を俯瞰して見れる想像力があるなら取れる行動も変わっていくんじゃないだろうか。

正しい意見も言えるんじゃないだろうか。

自分のためではなく、業界全体のこと、未来の人たちのことを考えれるのが人間の特徴でもある。

哲学者のカントも言っている。

「人間はしばしば、その成果として得られる幸福を享受できるのが、ずっと後の世の世代であって、自分自身ではないということがわかっているような骨が折れる仕事でも営々と従事する。」

今、得を優先することで後の損を招いてる、ことと、損を優先することで後の得になる、ことはトレードオフの関係のような気もする。

やめること、捨てること、断ち切ること、は決して悪いことばかりではない。

権威への依存は一度膨れ上がると取り返しがつかないくらいに壊れてしまう。

歴史はそんなことを繰り返している。

歴史がそう教えてくれている。

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