人道を考える

同じ星に住む同じ人間なのに、遠く離れた場所では戦争が行われている。

まるで想像がしがたく実感のわかない戦争が今でも終わることを知らないほどに、人間のエゴはどこまでも説明がつかないもの。

いつも不思議に思うのが、民間人を巻き込むのは非人道的だからよくないという表現だ。

いくら志願してると言ったって兵士だって人間だし、その命をぞんざいに扱っていいわけがない。

兵士の周りには必ず家族がいて、関係している人のほとんどが民間人なはず。

おそらく日常的に緊張感のある国の人道とは、平和な国の人が語る人道と捉え方が違うのだろう。

人間が作った宗教や政治によって人間同士が憎み合っているのだから皮肉としか言いようがない。

こうしてどれだけニュースを見て心を痛めたとしても、現地の人の気持ちが絶対にわからないのはなんとも歯痒い。

常に命の危険を感じながら生きるとはどんな気持ちなのだろう。

安全な環境でのんびり笑っていていいのだろうか。

国同士の争いにも関わらず、戦略の動機が選挙のためや自国の経済のためだったりすることにも違和感を覚える。

自分さえよければいいという考え方。

どの選択をしても誰かを悲しませてしまうどうしようもなさも大人になると理解できる。

歴史は常に数々の犠牲者の上に成り立っているから。

それでも人道的な行いを優先するならば、人の命を兵士であっても粗末にしてはいけないと思う。

だれが仲間で、だれが仲間でないのか。

その線引きは当然人によって違うだろう。

国かもしれないし、人種かもしれないし、宗教かもしれない。

そうして分けるからこそ争いが生まれてしまう。

そのカテゴリーをもっと広いものにするならば同じ人間であることを共有できる。

動物も植物も含めれば食べるものがなくなってしまう。

環境の違い、考え方の違い、同じ日本人でも合わない人がいるくらいなのだから、みんなで仲良くするのは相当むずかしい。

それでも相手を理解したいという気持ちは救いであるような気もする。

とりあえず人道的であることはベースに持っておきたいと思う。

渦中の人には弔いを。

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