気づかないうちに

現実と仮想の垣根がなくなったら。

過去と未来を自在に行き来できるようになったら。

嘘なのか本当なのかわからないほどにテクノロジーの進歩は目に見張るものがある。

過去にこういう出来事があったから今がこうなっていると、因果の関係を結ぶことに抵抗はないけれど、それがただの思い込みだということはどうしても考えにくい。

当たり前のように流れている時間が、天体が自転し続けているように円環的なものだとしたら、時間を進んでいると表現することは正しいのだろうか。

数々の概念は脳にインストールされてるので、簡単に消去するのがむずかしい。

時間とは進んでいくもの。

現実とは今この瞬間。

仮想とはなんとなくバーチャルなもの。

それらは言語の範囲でしか認識していないので真実とは限らない、と言われると納得もできる。

スマホを見ている時間は現実なのか、仮想空間と接しているのか。

何かしらのデジタルな画面を見ている時間は若い世代を中心に増えている。

スマホを見ている行為も、VRゴーグルで仮想世界にいることもそう変わらない気がする。

ゲームやコミュニケーションや動画視聴や習い事など、やってることは同じでデジタルに接しているという点でも同じこと。

AIも人間の脳も電気信号で動いているから、今まさに極めて曖昧な境界になってきている。

将来、脳とコンピュータがつながって、デジタルな空間で思い通りの人生が送れるとしたら人間は間違いなく簡単な方に向かうだろう。

ましてやお金が稼げるとなるとすぐに楽な方を選ぶだろう。

マトリックスの世界はあながちただのフィクションでもなさそうな気がしてならない。

中国では、上層部の人たちが多少悪いことをしていても、市民の生活を豊かにしてくれるならそれでいいと思っているらしい。

目をつむって管理されることを自ら望んでいるということ。

と解釈すると、それはもう何が本当の幸せなのかよくわからなくなってくる。

その選択ができるならまだしも、徐々に何者かによって洗脳されているとしたら恐ろしいことだと思う。

そして実際に与えられた概念を幸せだと思い込んでいるのも経済発展のためだったりするのは、先のディストピア感とそう変わりないような気もする。

結論、各々が幸せならそれに越したことはないので、自分にとっての幸せを追求していくだけ。

関連記事

  1. 社会はまるで生きもののよう

  2. 手を差し伸べる

  3. 関心を寄せること

  4. 絵空事からはじめる

  5. 久しぶりの料理

  6. 初恋の考察