見たいように見ている

好きを言葉にするのはむずかしい。

脳科学的に言えば、好きの理由は整合性が取れるように後付けで補ってるだけに過ぎない。

納得したいがために意味や因果を求める。

誰かの何かについて悪いことがあると、それにまつわる材料ばかりを集めてしまう。

悪循環のはじまり。好きも同じ。

人間の意思はそれほどまでに曖昧であやふやなもの。

自分が見たいように見ている。

自分の都合のいいように現実を解釈している。

みんな結局は自分が好き。

自分が正しいと思ってる。

そっちの方が楽しいからきっとそれでいい。

編集の役割は、情報を集めて編むこと。

散らばった情報を自分がいいと思うように組み立てていく作業。

素材をそのまま何のフィルターも通さずに提供するなら、編集の役割はいらない。

テレビでSNSで人気の、と紹介するのは役割を放棄している。

編集が介在していない。

メディアというのは、素材のよさを最大限に引き出してお客様に提供するのが使命だと思っている。

いいところを見極め、それを表現する手法を選び、アウトプットを最適化する。

これも結局は自分が見たいように見ているということ。

でもそれがいい、それでいい。

メディアの世界観とは、モノの見方、つまり視点を提案しているということだから。

ピカソのモノの見方、ゴッホのモノの見方。

見えてる世界は同じでも、その人を通して表現されるものは別世界。

絵画に限らず、写真も音楽も、そして料理も、芸術と呼ばれる分野はすべて自分が見たいように見ている視点の提案を世に問う作業だと言える。

そしてああでもないこうでもないと言い合うことでコミュニケーションが生まれ、コミュニティが生まれ、自分の居心地を探し、自分の居場所を見つけていく。

人それぞれで見えてるものが違うからこそ、この世界はおもしろいのだろう。

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