全体で考える

たしか小学生の頃の夢は学校の先生だったような気がする。

何をどう感じてそう思ったのか知らないけど、

夢の決め方が安易すぎるし、他にどんな仕事があるかも

よくわからずに、親や周りの環境の影響を受け、

自然と決められていたような気もする。

そもそも選択肢も今よりずっと少ないし、

昔はどんな職業に就くかが目標になっていた。

その仕事にさえ就けば生涯安定とされていた。

それはそれで楽だったようにも思う。

いわゆる受験勉強だけ乗り越えればいいだけだから。

人生の選択肢が少ない分、悩むことも少ない。

もっと昔を遡れば遡るほど、

生まれた家の身分で人生が決まってしまうのだから、

どう生きるかを選ぶ権利すら与えられない。

それが不幸なことだったかというと、

決してそうだとは言い切れない。

だって悩んだり迷ったりすることがない分、

心の病は現代より少ないはずだから。

昔の人はそれなりに幸せを見出していたはず。

小学生の頃でさえ選択肢が少なかったのだから、

自分の人生をたくさんの選択肢から選べるように

なったのはほんと、つい最近のこと。

むしろ選択肢が増えすぎてある意味混乱してしまう。

勉強をがんばって憧れの職業に就けても、

その職業を通して、自分は何を実現させたいのかを

軸として持ってないと続けることが難しい時代だ。

さらには悩みや迷いが増えることによって、

鬱という名前の病名まで生まれてしまい、

命を殺める人まで現れてしまう。

次の未来を生きる人たちは、さらなる新しい問題が

枯れることなく表出してくるのだろうと予想できる。

何かが生まれたら何かが欠けて、

何かが欠けたら何かが生まれる。

視座を高くして、ある事象を全体として見てみるならば、

どの部分を枠で囲ってもトレードオフの関係が成立する。

今までがいい人生でなかったのなら、あとはよくなるだけ。

宇宙の理はよくできている。

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