情報多すぎ問題

巷に溢れている情報は世界中の砂浜の砂粒の数より多いと言われている。

まるで想像がしがたいけれど、確かに視界の中には否が応でも何かのメッセージが日々飛び込んでくる。

買ってほしい、使ってほしい、観てほしい、食べてほしい、体験してほしい、感動してほしい。

みんな揃ってそう声高に叫んでいる。

かく言う自分もその一部に過ぎない。

広告やマーケティングも決して悪な側面ばかりではなく、経済活動をする上では欠かせない手法になっている。

誰かに何かを届けたい、そのエネルギーこそがコミュケーションを生む原動力であり人類の進歩と現代の豊かさの象徴だ。

それが今、いやおそらく大昔から、飽和状態になっている。

もしかしたら100年後も情報多すぎだね、と言ってるかもしれない。

情報多すぎの解決策として、周りを見渡せばいろんなデザインがシンプルになっていることや、ペットボトルのラベルレスな商品も出ていて興味深いなと思う。

断捨離やミニマリズムの流れも現代社会の在り方を顕著に示している。

中身で勝負する、それはそれで潔くて正々堂々としているけど、人の脳は外側の影響も大きく受けているので、シンプルが進みすぎると差別化がむずかしくなっていきそうな気がする。

iPhoneやユニクロみたいにみんな同じものを使っている現象はこれからも進んでいくだろう。

情報が多過ぎて選択肢が増えたにもかかわらず、収束して同じものに均一化されていくのがおもしろい。

本来なら自分の人生に必要な情報だけでいい。

人生に無駄も大事だと言われるけど、現代はあまりにも無駄な情報が多すぎる。

注意を引き注目を集めるようなコンテンツばかりが溢れている。

短期的で、快楽的で、刺激的。

なんと中毒や依存を構成する要素ばかりではないか。

悪循環に陥らないように気をつけないといけない。

時代の大きな流れからもはや情報を減らすことはできない。

自分にとって何が必要で何が必要でないか、意識高く情報を取捨選択できる能力が求められている。

そのための前提としてまずは自分のことをよく知ってないといけない。

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