
あらためて思う、人生なんてものはわりと運で決まるんだなあと。
生まれ育った場所、親の存在、時代や価値観の変化、これらは自分の意思では決められない。
不遇な環境であればやっぱり心的なトラウマは生涯を通じて根付いているものだし、教育環境が良ければエリートコースを歩める確率は高くなる。
運で決まってるものだから誰も悪くない。
過去をさかのぼれば致し方ない理由が存在しているだけ。
生まれつき身分が決まっていた時代から見れば、今は遥かに幸せな時代に生きれている。
選択肢は多くなりチャンスを掴める機会も増えてきた。
SNSなどにより一般人が活躍できるようになったとはいえ、その運を掴めるのは明るさや見た目やコミュニケーション上手な特性がもともと備わっている人だったりする。
その特性をそもそも持っている時点で運要素が大きいということ。
特性や性格といった個人のパーソナリティは、変われそうで変われない側面があると思っている。
誰だって向き不向き、得意不得意、好き嫌いをそれぞれに持っている。
よく言われる、短所を克服するより長所をさらに伸ばした方がいい、はとても納得がいく。
今の時代にマッチングしている能力といえば、表面のビジュアル、アルゴリズムのハック、陽キャ、パリピ、といったところだろうか。
これらもたまたま時代との相性がいいだけで個人の努力とは関係がない運で決まっているだけと考えると、諦めがつくし、うまく受け流せる。
自分の特性をしっかり見極めていつでも発揮できるように磨いておく。
チャンスはいつやってくるかわからない。
運を味方につけるためにできることも少なからずあると言われている。
視野を広げいろんなことに関心を持つ好奇心。
うまくいかない時も続けれる継続力。
あらゆる変化に適応する柔軟性。
物事をポジティブに捉える楽観性。
失敗から学ぶリスクテイク力。
たしかにこれらは個人の特性とは別の心の持ちようの問題であるような気がする。
運で決まるからといって嘆くのではなく、運をよく理解して受け流しつつも、今できることを準備しておく。
その結果も結局は運によるものだから、運はマトリョーシカのようなものかもしれない。