マルチタスクやレスポンスの早さ、コミュ力や発信力といった能力が今の時代は特に必要とされている。
そしてそれらの能力に長けてない人がまるで劣っているかのように感じてしまう社会がなんとなく変だなあと思ってしまう。
SNSの隆盛で比べる対象のレベルが高すぎて、自分なんて、と思わせる仕組みになりつつあるような気がする。
ふつうに生きるだけならそんなに難しくはないはずなのに、文明化や都市化は高い技術力が求められるような圧さえ感じる。
それはメジャースポーツの競技人口が増えているようなイメージ。
投げることや早く走ることが苦手でも、高く飛ぶことなら得意な人だっている。
それでも同じスポーツには変わりない。
人それぞれに得意な能力で活躍できればいいのだけれど、マルチタスク能力が重宝され、それができない人は仕事ができないと扱われてしまう。
高い能力を持っていても日の目を見ない職業ならお給料も安くなってしまう。
子供とうまく関われる能力、運転が上手な能力、美味しい料理を作れる能力もそうかもしれない。
今の社会にとってたまたま必要とされる能力に光が当たっていることを考えると、結局は人の人生なんて運要素が占めていると思わずにはいられない。
もちろん今の社会に必要される能力を見極めて、その能力をハックするように磨く人もいるだろう。
そんな適応力や器用さもひとつの能力なんだけど。
それぞれに持っている得意な能力も、社会や時代や環境次第で活躍できるかどうかが決まってしまうのは悲しけれど残酷な事実だと思う。
どんな環境であろうとも、これしかできないからとひとつの能力を磨き続ける姿勢はどこか美しさをおぼえる。
たとえ社会が必要としていなくてもそう言い切れる誇りを。