お客さんと話しているとき、ふいに新しい発見や気づきや問いをもらうことがある。
やりがいよりも生きがいのある人生を。
親が子供に言ったという言葉になるほどと思った。
やりがいとは主に仕事などの局面で使われることが多い。
生きがいとはまさに自分の人生が主体となっている。
それは時間軸の問題かもしれない。
やりがいは短期的だし、生きがいは長期的だ。
生きがいはやりがいを包括しているような気もする。
自分の人生を通して取り組みたいこととは。
それは好きで好きでたまらないことだろう。
だれがなんと言おうと貫きたい信念があるなんて、きっとごくごく一部の人たちだけに違いない。
それに簡単に見つかるものでもない。
見つからないからわかりやすく他者から承認されやすい幸福をみんな追い求めるのだ。
お金、異性、権力。
人間の本質的な欲求はもっと別のところにあるような気がする。
社会貢献や他者の成長。
それらは一見偽善にも思えるけど、巡り巡って自分に返ってくるものだとつくづく思う。
生きがいをもっている人は、総じてそこを理解しているし自分の人生を主体的に生きている。
矛盾するようだけど、誰かのためではなく自分のために生きている。
自分のために生きた結果が誰かのためになっている。
何事も順番は大切。
やりがいがあることだけでも素晴らしいけど、その時間は誰かに搾取されている可能性がある。
会社勤めだと往々にしてそのような傾向になってしまう。
みんなが長生きする時代において、誰からも支配されない個人が考えるべきやりがいや生きがいはこれから重要になってくると思う。
すぐにお金では買えないもの。
関係性や信用や時間がこれからの社会の主導権を握っていくのではないか。
好きでもない仕事終わりにビールを飲むことが生きがいとするならば、それもまた幸福には違いないので一概には言えないのだけれど。
続いていく生きがいを、終わらない生きがいを、それさえ見つけてしまえば幸福はすでに手に入れたようなもの。