それぞれの関心

飲食経験が長いからこそ食の大切さを伝えようとする。

食に関心のない人、コンビニやインスタント食品に抵抗がない人はたくさんいる。

人間の本質的な欲求はお腹を満たせればいいので間違いではない。

それでも美味しさを追求していくあたりがそれも人間っぽい。

美味しい料理を食べてほしい、身体にいいものを食べてほしい、そこから生まれる関係性の豊潤さも知ってほしい、けれどどれだけがんばっても全員には伝わらない。

関心を持つことや好きになるきっかけというのを意図して作るのは案外むずかしかったりする。

それぞれの分野でそれぞれの人が今関わっていることの大切さを周りに伝えようとする。

音楽をしてる人が音楽の素晴らしさを伝えようとするように。

企業や個人が何か商品の素晴らしさを伝えようとするように。

同じ伝えるでも含まれている意図の種類は少し違うような気がする。

文化面での良さなのか、経済的な良さなのか、未来の人類にとっての良さなのか。

種類というか配分の問題なのかもしれない。

環境のためだと言っておきながら売上のためだったりするわけだから。

純度100%の良さや善はありえるのだろうか。

どこかで誰かが無理をしてないか。

無理ってなんだ。

それさえも主観的な感情だ。

そのさじ加減も本当にむずかしい。

心の底から伝えたいという気持ちは、どんなことでもその物事を他者と共有したい欲望に起因してると思う。

ある意味でそれだけのことなんだとも思う。

食の大切さや、音楽の素晴らしさではなく、本質的には共有する感覚の心地よさをみんな欲しがっているだけ。

スポーツやドラマの感想も身近な誰かの噂話も。

何かを伝えたい人は皆、心が渇いてるのかもしれない。

共有の周波数が仕事や恋愛や趣味など、それぞれの関心に及んでるのではないか。

食に関心を寄せてもらう周波数はどのあたりだろう。

どれだけ考えてもきっと答えは出ない。

その人自身が身をもって体験しないとわからないことだったりするから。

それでもわかってくれる人が見つかるまで気持ちは伝え続けないと何も始まらないのだ。

押し付けがましくないように、その辺に置いておくように。

関連記事

  1. 権威について思うこと

  2. 本能より社会規範

  3. 悔しさという渇き

  4. 否が応でも変わっていく

  5. 潜る期間

  6. ひとつずつ 少しずつ