
電話しか連絡手段がなかった時代、昔の知人は環境が変われば自然と疎遠になっていた。
今どこで何をしているかもわからない。
生きてるか死んでるのかさえわからない。
地元にいない限り情報も多くは入ってこない。
きっとそれくらいの距離感がよかったのだと思う。
記憶のリソースも限られていることだし。
言うまでもないけど今はSNSな時代。
一度つながったらずっとつながっている。
それに常時接続。
過去の交友関係がどんどん積み重なっていく。
だれが今どこで何しているかがある程度わかる、検索にも引っかかる。
周りからどう思われているか、そんな指標が数字となって可視化されている。
それは常に誰かから見られているということ。
だれも見ようとはしていないし、自意識過剰と思われるかもしれないけど、その環境の中にいるという状況そのものが心に負荷をかけるのだろう。
SNSをしないという選択も取れるけれど、大人になるまでは何かしらのコミュニティに属している以上、LINEグループなど強制的にそのゲームに参加させられるようになっている。
だから若い世代を中心に生きづらさが蔓延しているのかもしれない。
比較をすることは成長欲にもつながるけど、劣等感が生まれる割合の方が多いんじゃないかと思う。
それでもSNSゲームに参加しないといけない、そして評価される、いつもだれかから見られているという感覚、人の目が網の目のように張り巡らされているのが今の現状なのではないだろうか。
だれもが何者かにならなくてはいけないという圧を背負わされている気がする。
普通に生きてたらいいだけなのに、情報の多さがなかなかそうさせてくれない。
自分に自信がないと思ってしまうのは、だれかと比べすぎているからに他ならない。
しかもその空気を作っている確信犯はいない。
社会が自然とそのような状況を作り出していることに恐ろしさを感じてしまう。
二十歳の息子も言う。
自分に自信がないと。
スマホを手放せとも言えない。
周りとの足並みも社会に生きてる以上は必要なこと。
自分にとって重要な情報だけにアクセスすればいい。
でもそれを選別できるほどの知性や理性を持ち合わせていないのが悩ましい。
そんなことはおかまいなしにテック企業の天才たちが次から次へと刺激を与えてくる。
これに対して明確な答えはないけれど、人間は心が大切ということは確かだと思う。