生産性のないインプット

料理にしても、文章にしても、表現するという行為はアウトプットになる。

いいアウトプットをしようと思ったら、やっぱりインプットは欠かせないし、そのバランスがとても重要だと思う。

アウトプットばかりだと似たような表現になってしまうし、インプットばかりでも宝の持ち腐れになってしまう。

日々の仕事や雑務に追われてしまうと、どうしてもインプットが疎かになってしまう。

良質なインプットをするには時間や心、お金の余裕が欠かせない。

とはいえ、インプットに焦ってしまうと意味がないのも最近の気づきとしてあったりする。

なんとなく生産性やコスパが重視されている現代社会で、要約やまとめなどのファスト的な情報が溢れている。

いかに時間を有効に使うか、いかに無駄をなくすか、役に立つこと、意味のあること、に焦点が当てられがちだ。

それはインプットをいかに“お金”に変えていくか、と同義のようにも聞こえる。

アウトプットはあくまでも“表現”であってほしいと思う。

それこそが人間にとっての豊かさの本質と密接につながっているような気がする。

役に立たないこと、意味がないようなこと、も大事なインプットであるはずなのに、後回しにされている感じがするのは、すぐに結果を欲しがるからだろう。

例えば、読書をしたり、映画を観たり、美術館に行ったりすることは、すぐに目に見える形で結果には現れない。

でも蓄積されていく知識や感性は、長い目で見て人として魅力の幅をもたらしてくれる。

降りてくるアイデアやひらめきもそんなインプットが、脳の中で不意に結合して生まれる。

いいアウトプットをすることが正解ではないけれど、焦らずに急がずに、いいインプットをじっくりと味わえるほどには人生は長いものだと思う。

いいものを少しずつと思えるのは歳のせいだろうか。

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