残るものを作りたいという気持ち

料理は食べてしまったら残らない。

料理を食べた体験は記憶に残る。

こうして書くように考えていることを言葉にしてしまうと自分の頭の中には残らない。

文章の場合は言葉でアウトプットすると記録として残っていく。

残るものと、残らないもの、を軸に物事を考えてみると、芸術性との相関があるのではと思えるような気づきがあった。

記憶や記録として残るもの、それが作品と呼ばれるものであり、人間にとっての表現なのではないかと。

あるいは作者にとってそれは無意識なのかもしれないけれど、残るものを作りたいという気持ちは人類が連綿と受け継いできた文化活動のリレーではないかと。

後世に伝えたい、継承したい、という気持ちの発動、それがたとえ自分の功績を残すためであったとしても、結果的に文化や芸術というのは紡がれてきた長い歴史の上に存在している。

人類の未来を考えて今を行動している人はきっと少ない。

それでも表現の先に未来があることは確かだと思う。

文化や芸術というのは直接的に経済発展とは結びつかない贅沢なものとして扱われがちだけど、人間を人間らしくいさせてくれる接着地点の役割がある。

それは心を動かすことで生まれる豊かな感情こそが重要だという意味合いにおいて。

楽しいことや笑えること、悲しみや苦しみも含めて幸せになる権利は各個人に与えられている。

その引き金になるのが文化や芸術ではないだろうか。

役に立たないことや意味のないことが、長い時間軸の中で社会善に寄与することは往々にしてあると思う。

無性に表現したくなる衝動や、そこから生まれる作品に生きがいを感じている人たちを敬愛している。

嗚呼、人間をしているなあと。

どちらかというと自分もそちら側の人間でありたい。

だから残るものを作っていきたい。

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