見えるようになった関係性

人と人の関係や間柄のようなものは、大まかに友人や家族や仕事仲間といった名称で区分される。

どのような関係性かは互いの認識によるところもあるけれど、SNSによってつながりやすくなった時代、先の名称のある関係性ほど明確ではないひとつ階層が下のつながりが存在するように思う。

フォローフォロワーの関係性。

それは片方もしくは相互のフォロー関係が存在する。

友人でもない、仲間でもない、悩みを打ち明けるでもなく、どこの誰か認識していない人とつながっている感じ。

フォロワーとはお客様なのか、必要な情報なのか、冷やかしなのか、その意図は人によってさまざまだろう。

興味を持って見てくれている人もいれば、ほとんど見ていない人もいる。

ほんのひと手間タップして反応を示してくれる人もいれば、知らんぷりな人もいる。

いずれにせよ、ただそのつながり度合いが数字によって常に公開されている。

日々、変動するフォロワー数、増えるに越したことはないけれど、減る分には何か悪いことをしたのでは、と余計なことを考えてしまうほどに、気にしなかったらいい話だけど、数字は否が応でも視界に入ってしまう。

今まで見えてなかった関係性が見えるようになってしまった。

つながりが増えることは果たしていいことなのか。

フォロワー数の多いことは正義なのか。

それ以上に、SNSだけに存在する機能、ブッロクやフォロワーを外す、という行為は、関係性をどこかぎくしゃくさせる。

面と向かってない感じ、一方的な感じ、言葉すら交わしていない感じ、興味や関心がなくなったと言われているような感じ。

以前はつながっていたにも関わらず、あずかり知らないところでつながりが終わっていたりすること。

本当に気にしなかったらいい話なのに、普段目にしている景色でそれがわかってしまう。

なぜ一方的に嫌な気分にさせられるのだろう。

なぜこんなにも考えさせられるんだろう。

見えなくてもいいことが見えるようになってしまう世界はきっとこれからも加速度を増していく。

知りすぎないことも、時に幸せだと呼べる。

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