内発的動機からはじまる

相手を変えることはむずかしい。
こうした方がいい、とか、こうするべき、とか、若い頃は平気で言っていたのが懐かしい。
視野の狭い若者は、自分の思う正しさこそがすべてだった。
まさにそれは自信のなさの表れ。
自分の意見で相手を変えれるなんておこがましい。
よっぽど相手のことを尊敬していて信頼していないと、なかなか言われた通りにはやらない。
お節介と放任のバランスもまたむずかしい。
まあ、尖っていた時期も含めて今の自分がある。

日本は選挙の投票率が諸外国に比べて低い。
特に若者の投票率が低いと問題になっている。
インターネット投票がどうこうはさておき、この時期「選挙に行こう」という呼びかけをあちこちで耳にする。
何となく聞こえはいいけど、同時に違和感もあったりする。
もちろん選挙に参加することは国民として大切な行動だが、選挙に行かない人に対して選挙に行こうと言うだけでは、あまり効果がないような気がする。
政治に関心がないのは教育にも問題があると思うし、期待したところでという絶望感もあるし、そもそも不利な条件がそろっていることもいったん忘れるとして。
選挙に行ったところで何がどう具体的に変わるかの実感と説明が不足しているようにも思う。
相手を変えることはむずかしい。
いかに自分の中からの内発的動機を生み出せるかどうか。
周りはいかに内発的動機を促すように導けるかどうか。
そうしたいという本気の気持ち、内側から沸き起こる感情、そのスイッチは人によっても違う。
人から何をアドバイスされようと自分から変わらないと本当に意味がない。
往々にしてそのスイッチが入るのは、窮地に立ったり、身の危険を感じたり、負の環境から生まれるものでもあるので、日本はまだまだ危機感が足りないのかもしれない。

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