ぼんやりと不確かさの中で

ひしひしと時代の価値観における転換期だと感じておりまして、なにかがこうガラッと反転するような空気が漂っている気がします。
それが何かはまだしっかりと掴めていませんが、戦争しかり、ウイルスしかり、地震しかり、テクノロジーの進化など、それぞれに主役級の因子が地面の中で蠢いている印象です。
このままではいけないと思いながらも、明確な行動が取れず、同じようなことを考えている人も周りにはいなくて、ただただ違和感だけが残っている今日この頃。

フランス革命以降、自由と人権という概念が形成されてきて、私たちはその考え方を当たり前に受け継いでいるわけですが、それをインターネットがより加速させたことで現在こうして個人が自分の意見を発信できるようになりました。
自由を与えられたはいいけれど、SNSに見られるように不毛な争いも生まれますし、何より情報が多すぎて消費が追いついていません。
何事もいい側面わるい側面があって、自由は自由でいいのですがやっぱり節度や責任が重要な気がしています。
好き勝手していいのが自由なのではなくて、その土台には教養や人類に対してのリスペクトがあってこその自由だと思うのです。
すぐに検索ができたり、まとめや要約サイトでわかったきになったり、ショート動画に興じたり、時代は人類から考える力を奪っているような気がしてなりません。

そんなことを思っていても、大きな流れから見たら個人の意見なんて所詮はごくごくわずかで小さな点にしかすぎないですし、現代の価値観にどっぷりと浸っているわけです。
だからなおさら自分には何ができるんだろうという地点に戻ってきます。
確実に昭和的な「一所懸命さ」や「頑張ること」は、今の時代だとニュアンスが変わっています。
費やした時間やエネルギーである「努力」という言葉も必ず報われるとは限りません。
そもそも自分が「報われる」ために行動してること自体、エゴであり野暮であり自分の利益しか考えていない、という風に解釈だってできます。これからの時代は。

社会のインフラが整い、快適な暮らしが安価に手に入り、そんなにあくせくと仕事をしなくてもいい時代になっていくと思います。
そうなった時に、没頭できる趣味や人生の目的が明確だとより生きやすいような気がします。
その答えはだれも教えてくれない、だれも正解を知らない。
不確かさの中でいかに自主性を保てるか。
育つかどうかわからない種をたくさん蒔いておくのが今のところの最適解です。

*本はそんなにがんばらなくてもいいよ、と言ってくれています。

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