この世界はルールや決まりごとで秩序だった社会にもかかわらず、人の感情はどこか不合理で時に説明できないもの。
情愛の気持ち、根拠のない自信、恥や背徳感、社会貢献やつい手を差し伸べたくなる瞬間。
そんな不合理さが歴史を動かしてきたとも言える。
そんな不合理さに心揺さぶられるドラマや物語が存在している。
規律に従っているだけでは機械やコンピューターと変わらない。
それでもみんなが規律に従うことで今の世界が成り立っているのも事実だ。
目の前で困っている人がいる時、自分の助けを必要としている時、すぐに動けるだろうか。
たとえ仕事中でも、時間に追われてる時でも動くだろうか。
きっと周りに人が多いほど知らんぷりをしてしまう。
誰かが気づいてやってくれると思ってしまう。
でも大きな自然災害であっても敢えて何も行動しない方が、相手のためになることもあるのでその判断はとてもむずかしい。
相手のため。
何か行動を起こす時、まずはそれを考えることが重要になる。
自分のためになってないだろうか、その境目が偽善との違いだろう。
相手にとっていいこと、相手が大切にしていること。
その理解なしにはありがた迷惑やただのお節介になってしまう。
よかれと思ってしたことにいい反応が返ってこなかった経験は誰にでもあると思う。
そんな失敗から思いやりや配慮の精度も上がるものだ。
ここでは相手の大切にしていることを共に大切にすることをケア、相手が大切にしていることが自分の大切にしていることに反しているにもかかわらず、相手を大切にすることを利他と定義されている。
いずれにしても、まずは相手を思うことから始まる。
利他のむずかしいところは、利他をしている、と自分で言ってしまうと恩着せがましくなるところ。
損得ではなく、身体が自然と動いてしまう時、感情が溢れてしまう時、そんなコントロールの効かない時に立ち現れるものだ。
でもそれが誰かの人生の役に立った時の人間らしさが美しいなと思ってしまう。
間違うこともある、導くこともある、そんな不確かさの中に漂ってる感じに心惹かれる。
自分の人生にあの人がいてよかったと思えるような生き方というか。