人を見た目で判断してはいけない、とよく聞くけれど、そう言ってる人もきっと人を見た目で判断しているくらいに、相手の見えている部分だけでどのようなタイプの人かイメージを推論している。
見えている部分とは、何も顔だけでなく、服装やアクセサリー類はもちろん、今ならSNSの投稿内容やアイコン写真に至るまで、アイデンティティが表出しているものはすべて判断材料になっていると言っても過言ではない。
(SNSのアカウント名やメールアドレス、車のナンバーなどの文字列も気になってしまう)
アイコン写真だけで性格診断ができそうなくらい、自分がいいと思って選んでいる対象は形となって現れている。
どんな人なのか、何が好きなのか、オープンなSNSなら誰をフォローしているかまで見てみると人柄の傾向がざっくりとわかってしまう。
自分でお店をしていると不思議なことに似たような好みの人がお客さんになってくれる。
例えばラーメンが好きな人はうちのお店にはあまり来ない。
きっと好みのカテゴリーが遠い距離にあるからだろう。
食べたこともないお店をお客さんがどこでそれを判断しているかというと、やっぱり外観や設え、SNSの写真など、見えてる部分だと思われる。
もちろんそもそも知らないということもおおいにある。
誰に来てほしいのか、どのようなタイプの人に届けたいのか、ターゲットを考える前に、自ら発している表現物ですでにイメージは決まってしまっているのではないだろうか。
インターネットの発達でアイデンティティのオープン化がどんどん進んでいるような気がする。
自分の好みと近い人たちが集まるような仕組みは居心地こそいいけれど、排他的になったり分断も生みかねない。
ネット空間だけでなくリアルな世界でもエコーチェンバー現象が起きてることを実感する。
多様性が大切だと言いながらも。