あこがれとあきらめ

何かや誰かに憧れる。

それは生きる目的や目標になりうるし人生の選択にも影響を与えてくれる。

物や体験、身近な人から遠い存在の人まで。

少なからず誰しもが何かしらの憧れを抱きながら生きているように思う。

こんなことがしたい、あんなふうになれたら。

モテたい、キレイになりたい、成功したい、幸せになりたい。

それ自体はとても崇高で、欲望があってがんばれる、ことはまさに人間を人間たらしめている。

またその過程で苦しみや負けがあり、乗り越えて、立ち上がって、少しずつ成長していき憧れに近づいていく。

もしも憧れが何もなかったら。

欲望は執着でもあるので、すべてを手放してしまうなら、僧侶になって悟りをひらくのがいい。

そこで加減が大事になってくる。

憧れが強すぎてはいつまでも届かない自分に自信がなくなってしまうし、なかったらなかったで空虚になって生きる意味を見失ってしまう。

結局は折り合いなのだろうか。

いや、その深淵には自分の力量がどれほどかを自分で現状認識できてないといろいろと空回りしてしまう。

努力が実るのは、かけた時間やお金の総量ではなく、いかにセンスよく適切な順路を選んだかで決まる。

自分にできないことは諦める。

諦めるの語源は、明らかに見る、と言う。

物事が明らかになった、到達したということ。

やってみたなら尚更だけど、やってもみてないのに諦めるのは筋が違う。

それでも人生の選択肢はすでに溢れかえっていて、なんでもかんでも試せないので自分の憧れをきちんと見極めないといけない。

憧れや羨ましいと思う気持ちはそれを手に入れてしまうと意外となんてことない。

それまで追いかけてきた軌跡や過程が、その最中でこそキラキラしているのは不思議な現象だ。

恋愛のように、社会的ステータスのように。

手に入れば、また次の憧れを見つけ、苦しみや諦めを伴い、またそれに向かって生きていく。

際限のない欲望を抱えた人間は実に愛らしい。

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