意思はどこへやら

いろんな人が何かしらのメッセージを伝えようとしている。
商品を売るために、想いを届けるために、未来をよくするために。
でも受け取る方は、商品の並べ方や、キャッチフレーズの巧妙さや、ストーリー展開によって、それが魅力あるものであると認知させられているケースがほとんどだと思う。
そう、認知させられている。
そこにはいろんなテクニックがあって、比較することで引き立てたり、言葉の力で魅せられたり、数字を使ってわかりやすくしたり。
SNSなんてまさに人間の心理や認知をうまく使って、掴んで離さないような設計になっている。
自分に合ったおすすめを提示してきたり、承認欲求をうまく利用したりして。
通知がくるだけでドーパミンが出るという実験結果もあるそうだ。
それほどまでに早く何かを欲すようになってきたということ。
テクニックで伝えることって本当の意味で伝わっていることなんだろうか。
人間の意志ってそんなに大したことないのかも。

それでも社会に属している限り、伝えるテクニックは必要不可欠なもの。
知識として知っていて損はないし、常に相手がいてこそ社会や経済が成り立つ。
お店をしていてどれだけ美味しい料理を作れたとしても、お客様に伝わらなかったら意味がない。
そのためには美味しそうに見える写真の撮り方に注意をはらうし、ライティングやコピーにも気をつかう。
発信のタイミング、企画の発案、価格設定、マーケティングなど、伝えるために考えることはたくさんある。
決して自分の活動を偽っているわけではないけど、客観的に見るならば伝えるためにテクニックを使って思い込ませていると言えなくもないのではと、ふと感じてしまう時がある。
そんなことを言ったら経済活動が成り立たないので考えすぎなのはわかっていても。
頭の中の言語化が追いついていないけど、何かを伝えることはきっと小手先のテクニックとかではなく、心の底から本気で相手の幸せを願うことに意味があり意思があるんだと思う。

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