知りすぎて沈んだまま

自分のやりたいこと、自分の好きなこと、自分の得意なこと、自分のできること。

人から求められること、人から期待されていること、社会における存在価値。

自分が見ている世界のレンズが晴れては曇り、曇っては晴れる。

正しいこととか、信じていることとか、選んだことに対する信念の強度が揺らぐ揺らぐ。

他者との比較を避けようとしても思いのほか情報は入ってくるし影響を受けずにはいられない。

自分より上手にやってる人がいるなら、自分がやらなくてもいいのではないか。

何者かになろうとしているのか、何者かにならないといけないのか。

いや、きっとそんなことはなくてこれはただの弱さなのだ。

それを認識できているだけましだと思う。

知識が増えるということはある意味でやっかいなこと。

いろいろ勉強してきていろいろ知り過ぎたような気もする。

やる前からすでに答えがわかっているなら敢えて行動する必要がなくなってしまう。

ひと通り人生の大きなイベントを経験してきて、長く携わってきた飲食業界も憧れだった独立開業を経験してみて、自分の能力を加味して俯瞰的に見ても、やっぱりあらゆる角度から見ても希望を見出せないでいる。

自分が当事者としてまたやりたいとは思えないままでいる。

そんな心境だからこそ飲食業界に従事している人たちは本当に心から偉いと思う。

こうしてアウトプットしてみて、ここに自分の原動力があることは確かなのにそれを実現させる方法がしっくりこないのかもしれない。

業界の構造なんて簡単に変えれるものではない知識だとか、文化を形成するにはもっと大きなエネルギーが必要である知識だとか、資金力や癒着がものを言う資本主義社会である知識だとか、どうやら知り過ぎてしまったがゆえに思うように動けない。

今日はなかなか赤裸々な内容だなあ。

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