やりがいのあること

この世の中には“やりがい”というとても人間的な本能を刺激するやっかいな概念が存在する。

エッセンシャルワーカーと呼ばれるような仕事は、人々の生活インフラを支えるためになくてはならない。

コロナ禍でより浮かび上がってきたその実態は労われるこそしたものの、労働に見合った賃金でないことはおそらく簡単には解決できない社会問題のまま。

例えば保育や配送、介護や食品関係など、お客様との距離が近い分だけ喜びの反応はダイレクトに受け取れる。

何ものにも変えがたいその“やりがい”でがんばってきた苦労が報われ次の仕事にも励みがでる。

やりがい搾取なんて言葉があるから、その塩梅はとてもむずかしいけれど、人それぞれ形は違えどやりがいや使命感があるからこそ人間らしく生きていけるような気がする。

辛いことも大変なことも喜んでくれる人が待っているからがんばれる。

そんな美徳を失ってしまって人間の価値はあるのだろうか。

ロンドンに行ってからというものの、世界の覇権をまざまざと感じてしまった風景がずっと心に残っていて離れない。

物質主義、金権主義、ロンドンというよりも立ち寄ったアラブの空港で見た、これみよがしな豪華な振る舞いで人間の優劣が決められてしまいそうになるある感覚。

それは文化の違いや思想の違いであってただの偏見かもしれないけれど、自分がそう受け取って目の当たりにした気持ちが今もずっしりと重く残っていることは確かだ。

世界は否応なく資本力や経済力でできている。

感情や義理や配慮が通用するなら戦争なんて始まっていない。

残酷であるけれどいい加減それが現実であることを受け入れ、その中で自分の納得のいくやりがいを見つけることが最適なんだろうきっと。

それに世界の人たちが悪い人だとも思っていない。

それぞれの文化の中でそれぞれのやりがいがあって、それぞれの生き方があるだけの話。

純日本的なスピリッツをしっかりと受け継いでいる自分は、やっぱり日本が落ち着く。

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